会社情報

ごあいさつ

代表取締役 荒木揚壱 富山の置き薬が元禄3年(1690年)12月15日陸奥国三春(福島県)のご当主秋田信濃守が江戸城で腹痛を起こして苦しんでいる時、富山藩主前田正甫が自分の常備薬である反魂丹を飲ませた事を切っ掛けに始まったとするなら、富山の置き薬の歴史は320年あることになります。
 そのような歴史の中で、私の祖父がこの業を昭和元年に一軒のご家庭に救急箱を置かせて頂いたことから始まりました。
 そしてその後、私が3代目として業を継いだわけですが、置き薬の仕事は素晴らしい。お客様のご家庭にこちらから訪問し、お客様の色々なお話を聞かせて頂き、お顔を見ながら仕事ができる。商売の原点であり、これからの時代の販売形態だからです。

 なぜなら現在、インターネットの普及が目覚ましい勢いです。そして色々な物の売買にインターネットが盛んに使われています。 世の中が両極の時代と言われるようになって久しいですが、インターネットによる無人販売が盛んに行われれば行われるほど私たちの人による人のための販売がより強く望まれて行きます。
 ましてや薬やサプリメントは口に入れるものですから、しっかりと信頼のできる人の顔をみて説明を聞いて服用する方が安心です。
 私はインターネット時代の中、超アナログな暖かな心のこもった思いやりのある人間による販売をこれからも行ってまいります そして、新しい時代の置き薬のスタイルを社員全員が登録販売者の資格を持ち、お客様のニーズに合った形で、薬の専門家がお客様の健康をお守りするためにご家庭にご訪問いたします。常にお客様が健康でいられるために。

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創業の精神

 初代荒木豊次郎は、戦後の混乱の中でも、お客様が台風で川が氾濫し全てを流されてしまったときも、親戚の安否を心配するかのように、一軒一軒お客様を訪ね無事を喜んだ。

 お客様はすぐに薬が必要だった。それを見た豊次郎は、富山中駆け回り薬をかき集め、戦争や災害に遭われても頑張って生き抜いてこられたお客様のお役に立ちたい、今度は薬で尊い命を守りたい、その一心でお金も頂かずお薬をお届けした。

 その出来事は後々お客様が「地獄に仏」だったと、その後ろ姿に手を合わせずにはいられなかったと語ってくださる。

 豊次郎がそのように薬を何度も届けて廻った行動が、私たちの精神、他利自利の心であり、私たちはお客様の利益を第一に考え行動する。その精神は今も連綿と受け継がれ今にある。

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企業理念

利他で行動 健康は宝

私たちは人の人生の中で一番大切なものは「健康」であると考える。
どんなに豊かさを持っていても健康が無ければ人生に価値を見出せない。
私たちは、健康こそがこの世で一番大切な宝であることを、全ての人に伝え広め気付いて頂く伝道者となり、お客様を健康に導くことが使命である。
そして私たちひとり一人は利他の実践者である。
お客様の役に立っている。
社会の役に立っている会社であることが正に自利なのである。
利他の心で行動し、健康が何よりの宝であること、
まさに「利他で行動 健康は宝」これを我が社の企業理念とする。

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概要沿革

概要

会社名
株式会社 日本常備薬
代表取締役
荒木 揚壱
創業
1927年
法人設立
1973年9月
資本金
23,000,000円
業種
医薬品配置販売(置き薬)
取扱商品
配置用薬全般&サプリメント&基礎化粧品
本社住所
〒379-2304 群馬県太田市大原町410-3
伊勢崎営業所
〒372-0013 群馬県伊勢崎市上植木本町2226-8

沿革

1928年
初代 荒木豊次郎、桐生市にて日本丸薬房と名乗り置き薬業を初める
1947年
カスリン台風でお客様に大打撃
1950年
二代 荒木豊治が初代の事業を継承し販路を拡大
1973年
個人から法人化を図り資本金300万で有限会社日本常備薬を設立する
1987年
三代 荒木揚壱社長に就任
1987年
事務所を桐生市から薮塚本町に移転
1990年
押田だるま堂薬品の顧客を承継
1996年
新規に顧客を開拓し顧客数5000軒から12000軒に拡大
従業員数も6名から10名に増員
1997年
営業部を笠懸町に移転
1997年
資本金を1000万円に増資
2003年
セイセイ薬品を顧客を承継
2005年
ミドリ薬品を顧客を承継
2006年
田村薬品前橋営業所を吸収、従業員も14名に増員
2006年
株式会社日本常備薬に組織変更
2007年
按田薬品の顧客を承継
2007年
京田薬品の顧客を承継
2011年
小坂井薬品の顧客を承継
2024年
ひまわり薬品の顧客を承継